安室奈美恵は「菜根譚」の人だ
沖縄から日本を代表する歌姫へ。
18歳までに売れなかったら…
安室さんが中学2年生の時、アクターズスクール内でSUPER MONKEY'Sが結成され、彼女はそのグループで中心的な存在となった。しかし彼女は決して浮かれることはなかった。こんな証言がある。
「そこ(当時のアクターズスクールの場所)は、芸能人の養成学校だったからレッスンが終わる時間帯になるといつもナンパ待ちの車がたくさん並んでいたね。安室さんに声をかけたって人もいたけど彼女は一切ナンパ等にひっかることはなかったよ。他のアクターズスクールのメンバーはナンパされる人も結構いたけどね」(地元の同世代・41歳)
沖縄での活躍はやがて東京のテレビスタッフの目にとまりSUPER MONKEY'Sは全国区となっていく。
中学3年生の時に、事務所をアクターズスクールから東芝EMIへと移りメジャーデビューを果たした。彼女はセンターボーカルを担当するようになる。しかし結局SUPER MONKEY'S時代はこれといったヒットに恵まれなかった。今では考えられない仕事もしていて、「いちご白書」というドラマに女優として出演したこともある。
「18歳までに売れなかったら沖縄に戻ってくる」そんな約束を母親としていたそうだ。
その18歳の時に転機が訪れる。SUPER MONKEYSから"安室奈美恵 with SUPER MONKEY'S"と改名して5枚目のシングル「TRY ME 〜私を信じて〜」が73万枚を売り上げる大ヒットとなったのだ。
その後、名プロデューサー・小室哲哉氏と出会ってからの活躍は誰もが知る所だ。地道な努力が実を結んだ。
しかし彼女の功績はこれだけではない。それに続く沖縄出身のアーティスト達の道しるべになったのだ。
※本文の事実関係は、石嶺中学の複数の同級生の証言によるものです。